Mr.井出のオススメ映画
2016/12/12
今年をふと振り返れば、
どのメディアも広島一色の年でした。
広島東洋カープ25年ぶりのリーグ優勝のおかげで、
広島という名前を聞かない日は無かったように思われます。
さて、今回紹介する映画は、
広島の戦時下の状況を描いたアニメ映画、
「この世界の片隅に」です。
以下、あらすじになります。
舞台となるのは1944年の広島。
18歳になった浦野すずは、
周りの意見に流されるまま北条周作という若者と結婚し、
生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。
18歳になるまでは、
得意な絵を描いたり、
実家の手伝いをしたりしながらのんびりと過ごしていた彼女は、
一転して一家を支える主婦になる。
戦時下ということもあり、
食べられるものもどんどんと減っていく中、
すずは様々な工夫を凝らして毎日の食卓を作り出し、
一生懸命に日々を生きていく。
戦争は激しくなる一方で、
空襲を受けることも日に一度では済まされなくなっていく。
町は燃やされ、
またそれと同時にすず達の生活は少しずつ壊れていく。
運命の日である、1945年の8月6日が近づいている。
戦争を描いたアニメ映画といえば、
日本では「火垂るの墓」が一番有名かと思われます。
あの映画のおかげで、
戦争を描いたアニメ映画 = 暗くて悲惨なシーンばかりのただただ悲しい映画だというイメージが大多数の人に植え付けられているのではないでしょうか。
「この世界の片隅に」は違います。
確かに、戦時下を映画にするにあたって、
激しい空襲、憲兵たちの横暴、戦争の悲惨さ、困窮した生活を描くというのは必要不可欠です。
当然、この映画にもそのようなシーンは出てきます。
しかし、それだけではないのです。
戦時下という非日常の中で、それでも町に生きる人々は「普通の生活」をしようとしていたということがこの映画では描かれています。
少量のじゃがいも、大根の皮や野草、梅干しの種などを使い、
まるで楽器でも演奏するかのように楽しみながら料理をするシーンや、
夫と共に町へ繰り出し、満員の映画館を巡るするシーンなど。
戦争を題材とした映画では観たことが無いようなシーンが、
この映画では多く含まれています。
特に、ただ絵を描いていただけのすずを見かけた憲兵が彼女にスパイ容疑をかけ、
そのことを悲しむでも恥に思うでもなく、
家族間の笑い話にしてしまうというシーンは斬新に感じました。
この手の作品は、
「非国民」だとか「お国のために」だとか戦争を賛美する人物と、
「何が国のためだ」と戦争を否定する人物との対比で描かれることが常でしたが、
「この世界の片隅に」にはそういった対比が一切出てきません。
代わりに描かれたのが、
戦争は日常と肉薄したところにあり、
人々の生活の根っこのところまで浸透していた、という点です。
当時の人にとって、
戦争はある種の「支え」となっていたことがこの作品では描かれています。
ひもじい生活をしても、
趣味のひとつを持つことが出来なくても、
昼夜を問わない空襲のせいで寝不足になっても、
ずっと住んでいた家を壊されても、
そして家族を殺されても、
すべては「戦争のため」なのだからと自我を抑え、
不満を漏らすこともなく、
なんでもないような顔をしながら日々をひたすら耐える人々の描写というのは観たことがなかったため、
胸が締め付けられる思いでした。
メッセージ性が強く、
ワンシーンごとの情報量が多いため、
同じアニメ映画である「君の名は。」のように気楽には観られない映画ではあると思います。
ですが、観て損はしない作品であることは保証します。
今年最後の一本としてお休みの日に足を延ばしてみるのはいかがでしょうか。
『この世界の片隅に』公式サイト
http://konosekai.jp/
年の瀬と広島と映画と
今年をふと振り返れば、
どのメディアも広島一色の年でした。
広島東洋カープ25年ぶりのリーグ優勝のおかげで、
広島という名前を聞かない日は無かったように思われます。
さて、今回紹介する映画は、
広島の戦時下の状況を描いたアニメ映画、
「この世界の片隅に」です。
以下、あらすじになります。
あらすじ
舞台となるのは1944年の広島。
18歳になった浦野すずは、
周りの意見に流されるまま北条周作という若者と結婚し、
生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。
18歳になるまでは、
得意な絵を描いたり、
実家の手伝いをしたりしながらのんびりと過ごしていた彼女は、
一転して一家を支える主婦になる。
戦時下ということもあり、
食べられるものもどんどんと減っていく中、
すずは様々な工夫を凝らして毎日の食卓を作り出し、
一生懸命に日々を生きていく。
戦争は激しくなる一方で、
空襲を受けることも日に一度では済まされなくなっていく。
町は燃やされ、
またそれと同時にすず達の生活は少しずつ壊れていく。
運命の日である、1945年の8月6日が近づいている。
「この世界の片隅に」の魅力
戦争を描いたアニメ映画といえば、
日本では「火垂るの墓」が一番有名かと思われます。
あの映画のおかげで、
戦争を描いたアニメ映画 = 暗くて悲惨なシーンばかりのただただ悲しい映画だというイメージが大多数の人に植え付けられているのではないでしょうか。
「この世界の片隅に」は違います。
確かに、戦時下を映画にするにあたって、
激しい空襲、憲兵たちの横暴、戦争の悲惨さ、困窮した生活を描くというのは必要不可欠です。
当然、この映画にもそのようなシーンは出てきます。
しかし、それだけではないのです。
戦時下という非日常の中で、それでも町に生きる人々は「普通の生活」をしようとしていたということがこの映画では描かれています。
少量のじゃがいも、大根の皮や野草、梅干しの種などを使い、
まるで楽器でも演奏するかのように楽しみながら料理をするシーンや、
夫と共に町へ繰り出し、満員の映画館を巡るするシーンなど。
戦争を題材とした映画では観たことが無いようなシーンが、
この映画では多く含まれています。
特に、ただ絵を描いていただけのすずを見かけた憲兵が彼女にスパイ容疑をかけ、
そのことを悲しむでも恥に思うでもなく、
家族間の笑い話にしてしまうというシーンは斬新に感じました。
一皮むいたところにある戦時下の哀しみ
この手の作品は、
「非国民」だとか「お国のために」だとか戦争を賛美する人物と、
「何が国のためだ」と戦争を否定する人物との対比で描かれることが常でしたが、
「この世界の片隅に」にはそういった対比が一切出てきません。
代わりに描かれたのが、
戦争は日常と肉薄したところにあり、
人々の生活の根っこのところまで浸透していた、という点です。
当時の人にとって、
戦争はある種の「支え」となっていたことがこの作品では描かれています。
ひもじい生活をしても、
趣味のひとつを持つことが出来なくても、
昼夜を問わない空襲のせいで寝不足になっても、
ずっと住んでいた家を壊されても、
そして家族を殺されても、
すべては「戦争のため」なのだからと自我を抑え、
不満を漏らすこともなく、
なんでもないような顔をしながら日々をひたすら耐える人々の描写というのは観たことがなかったため、
胸が締め付けられる思いでした。
まとめ
メッセージ性が強く、
ワンシーンごとの情報量が多いため、
同じアニメ映画である「君の名は。」のように気楽には観られない映画ではあると思います。
ですが、観て損はしない作品であることは保証します。
今年最後の一本としてお休みの日に足を延ばしてみるのはいかがでしょうか。
『この世界の片隅に』公式サイト
http://konosekai.jp/