その他
2018/06/12
こんにちは 臼井です。
うさぎ島ってご存知ですか?
もちろん正式名称ではありませんが、
少しメディアに取り上げられた事もあるので知っている方もいるかもしれません。
正しくは『大久野島』(おおくのしま)。
広島県と愛媛県の間、
瀬戸内海に浮かぶ広島県竹原市の小さな島です。
島の面積は0.7k㎡。
中央は山、
海側はジャリに近い浜もあって海水浴やキャンプも楽しめるそうです。
現在この島にいるうさぎは約700匹だそうで、
友人と二人でうさぎの癒しを求めて遊びに行って参りました!
竹原市の忠海港からフェリーで約15分。
船酔いを耐えて初めての大久野島に着いて目にはいるのはいきなりの寝そべったうさぎ・ウサギ・兎!
自由に、個々のパーソナルエリア内で寛ぐ姿はまさに野生のうさぎでした!
うさぎは見た目と草食動物のせいか大人しく穏やかで弱い生き物と思われがちですが、
縄張り意識がとても強く弱いうさぎは苛められて追い出されたりするのは優しい方で、
ヘタをするとどちらかが命尽きるまで攻撃したりします。
なので大久野島では一定の距離を保ちながら少数グループ、
2匹~6匹でいるうさぎさんたち出会えます。
だいたいが兄弟や親子のグループのようです。
観光客が持参したごはんを1匹に上げようものなら四方八方から『自分も!』と駆け寄り集まりますが、
違うグループのうさぎたちが縄張りに入ると突進したり噛み付いたりと縄張りを守るために追い出しにかかります。
見かけは可愛くて無防備に見えてもやっぱり野生動物ですね。
今では可愛いうさぎたちがいたる所で暮らす大久野島ですが、
過去には哀しく悲惨な歴史があります。
明治14年頃には住人数26人程の集落があったようですが、
日清戦争、日露戦争を経て島は要塞計画が進んだそうです。
第一次世界大戦が始まった頃に3箇所に砲台が作られた後に別の要塞が採用されて一度も使われないまま廃止になりました。
けれど昭和4年から施設はそのまま毒ガス工場へと変貌したそうです。
終戦の20年まで続き、
その間この島は日本の地図から消されていました。
不自然に円形に塗りつぶしたような地図は終戦後の昭和22年、
毒ガス処理が済んだ後ようやく元に戻されたそうです。
うさぎを探しながら島を散策している途中で草むら、
木の間から現れる負の歴史施設跡。
砲台跡、毒ガス貯蔵庫、毒ガス製造所に発電所。
その傍にのんびりと寝転ぶうさぎたち。
なんとも言えず友人と毒ガス処理のために焼き尽くされて真っ黒に変色した製造所を見上げていました。
そして癒してくれるのはやっぱりうさぎたちでした。
でも地図から消されるような悲惨な歴史を持つ大久野島が『うさぎの島』になったのでしょう?
高度経済成長へ移る30年代に国、
もしくは地方公共団体が進めた事業で野外レクリエーション施設として広島県が大久野島を整備したそうです。
その時にマスコット的な動物を、
と考えた時に候補にサルや鹿が上がったそうですがウサギに決まったそうです。
アレですね、『奈良のシカ』的なものです。
『毒ガス実験で使われたうさぎの子孫では?』
と言われたりしますが、
このうさぎたちは毒ガス処理の時に全て殺処分となったそうです。
現在、大久野島で暮らすうさぎたちは1971年に地元小学校で飼われていたうさぎが野生化して増えていったようですね。
実はうさぎさん、
人間と同じ万年発情期なのです(笑)
犬や猫のように時期は関係なく増えるのです。
2007年では300匹確認されていたようですが、
現在は700匹。
たくましいです。
東京から島まで6時間半。
ヘタな海外より遠い国内旅行でしたが知って後悔のない歴史と可愛いうさぎに癒されました。
興味のある方は一度足を向けてはいかがでしょうか。
うさぎ島
こんにちは 臼井です。
うさぎ島ってご存知ですか?
もちろん正式名称ではありませんが、
少しメディアに取り上げられた事もあるので知っている方もいるかもしれません。
正しくは『大久野島』(おおくのしま)。
広島県と愛媛県の間、
瀬戸内海に浮かぶ広島県竹原市の小さな島です。
島の面積は0.7k㎡。
中央は山、
海側はジャリに近い浜もあって海水浴やキャンプも楽しめるそうです。
現在この島にいるうさぎは約700匹だそうで、
友人と二人でうさぎの癒しを求めて遊びに行って参りました!
竹原市の忠海港からフェリーで約15分。
船酔いを耐えて初めての大久野島に着いて目にはいるのはいきなりの寝そべったうさぎ・ウサギ・兎!
自由に、個々のパーソナルエリア内で寛ぐ姿はまさに野生のうさぎでした!
うさぎは大人しい?
うさぎは見た目と草食動物のせいか大人しく穏やかで弱い生き物と思われがちですが、
縄張り意識がとても強く弱いうさぎは苛められて追い出されたりするのは優しい方で、
ヘタをするとどちらかが命尽きるまで攻撃したりします。
なので大久野島では一定の距離を保ちながら少数グループ、
2匹~6匹でいるうさぎさんたち出会えます。
だいたいが兄弟や親子のグループのようです。
観光客が持参したごはんを1匹に上げようものなら四方八方から『自分も!』と駆け寄り集まりますが、
違うグループのうさぎたちが縄張りに入ると突進したり噛み付いたりと縄張りを守るために追い出しにかかります。
見かけは可愛くて無防備に見えてもやっぱり野生動物ですね。
負の歴史とのギャップ
今では可愛いうさぎたちがいたる所で暮らす大久野島ですが、
過去には哀しく悲惨な歴史があります。
明治14年頃には住人数26人程の集落があったようですが、
日清戦争、日露戦争を経て島は要塞計画が進んだそうです。
第一次世界大戦が始まった頃に3箇所に砲台が作られた後に別の要塞が採用されて一度も使われないまま廃止になりました。
けれど昭和4年から施設はそのまま毒ガス工場へと変貌したそうです。
終戦の20年まで続き、
その間この島は日本の地図から消されていました。
不自然に円形に塗りつぶしたような地図は終戦後の昭和22年、
毒ガス処理が済んだ後ようやく元に戻されたそうです。
うさぎを探しながら島を散策している途中で草むら、
木の間から現れる負の歴史施設跡。
砲台跡、毒ガス貯蔵庫、毒ガス製造所に発電所。
その傍にのんびりと寝転ぶうさぎたち。
なんとも言えず友人と毒ガス処理のために焼き尽くされて真っ黒に変色した製造所を見上げていました。
うさぎたちはどこから?
そして癒してくれるのはやっぱりうさぎたちでした。
でも地図から消されるような悲惨な歴史を持つ大久野島が『うさぎの島』になったのでしょう?
高度経済成長へ移る30年代に国、
もしくは地方公共団体が進めた事業で野外レクリエーション施設として広島県が大久野島を整備したそうです。
その時にマスコット的な動物を、
と考えた時に候補にサルや鹿が上がったそうですがウサギに決まったそうです。
アレですね、『奈良のシカ』的なものです。
『毒ガス実験で使われたうさぎの子孫では?』
と言われたりしますが、
このうさぎたちは毒ガス処理の時に全て殺処分となったそうです。
現在、大久野島で暮らすうさぎたちは1971年に地元小学校で飼われていたうさぎが野生化して増えていったようですね。
実はうさぎさん、
人間と同じ万年発情期なのです(笑)
犬や猫のように時期は関係なく増えるのです。
2007年では300匹確認されていたようですが、
現在は700匹。
たくましいです。
東京から島まで6時間半。
ヘタな海外より遠い国内旅行でしたが知って後悔のない歴史と可愛いうさぎに癒されました。
興味のある方は一度足を向けてはいかがでしょうか。